以て錢に換算する。奴隷一人は六百文に換算すると云ふ規則です。奴隷一人半持てば三級の民になる。さう云ふやうなことで立派に奴隷制度が成立つて居りました。所が英吉利の如きは十三世紀まで奴隷經濟が續きましたが、日本では西洋の九世紀の終り十世紀の初めに至つて此奴隷經濟がなくなつてしまひました。それはどう云ふ譯かと云ふと、自然の勢ひ奴隷經濟だけでは成立たぬので土地經濟が起きて來たのです。奴隷時代には土地は澤山あつて人口は少い、だから其邊の土地は勝手に取れる。唯之を耕作する耕作力がないから奴隷を集めて之を耕作するので奴隷經濟が起つた。然るに日本では西暦十世紀頃即ち奈良朝の終り平安朝の初めには人口が大分殖えて來まして、到る所耕作せられる土地がある。そこで豪族若くは大官は既に耕作せられた土地に繩張をして是は自分の領分であると云ふことを決めますから、多くの奴隷を持つよりは多くの土地を持つと云ふことが世の中の希望であつた。豪族は成べく多くの土地を持ちたい、土地から野菜が出る、農産物が出る、貢物が出ると云ふことであるから土地を澤山持ちたいと云ふことが希望で、それから土地を本とする經濟が成立つて來た。それで英吉
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