あり、刑罰に依つて生れる奴隷もある。奴隷の源は色々ありますが、兎に角奴隷なかりせば勞働力がないから、奴隷を基礎として經濟を立てゝ行く。我國の如きも即ち最初は奴隷經濟であつた。あなた方は奴隷と云ふと日本にさう澤山ないもののやうにお思ひになるかも知れませぬが、歐洲の歴史は羅馬のスパルタカスの奴隷戰爭以來奴隷と自由人民の爭ひが歐洲の中世史であります。日本も其通りで奈良朝時代は純然たる奴隷經濟であります。奈良に正倉院と云ふ帝室のお藏があります。其處に殘つて居る戸籍斷片、昔行はれた戸籍のちり/\ばら/\になつたものがあります。それを見ますと其戸籍に主人は幾歳、妻は幾歳、男の奴隷何歳、女の奴隷何歳と皆籍が載つて居ります。斷片でありまして全體を見ることは出來ませぬが、それから推測して見ると大きな家には三人四人の奴隷が必ずあつたやうです。それから聖徳太子が蘇我の一族と戰はれたときは蘇我の一族には澤山の兵がありました。其奴隷がやはり四五百人あつた。さう云ふ風に總て奴隷を基礎として經濟を立てゝ居つたのです。是は何時頃まで續いたかと云ふと奈良朝の終り迄奴隷がありました。其奴隷は立派に大寶令と云ふ法律にも載つ
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