のみの力で倒したのではなく、最早黄金が盡きて倒れて居つた。天保以來四五十年掛つて、黄金に銅を混ぜ鉛を混ぜて貨幣の數を殖してやつて來たが、到底政府の維持が出來ない。其中にアメリカが來るから軍艦を造らなければならぬ、大砲も買はなければならぬ、あるものは皆出してしまつた、長州征伐で皆使つてしまつた。徳川慶喜が大阪で負けて江戸へ逃げて來るときは、大阪城にいざと云ふときの軍用金として積んだものが二十八萬兩しかなかつた。是が一切合切の金なのである。それを持つて軍艦に乘つて江戸まで逃げて來たのですが、西郷隆盛などが江戸へ來て、先づ第一に大江戸の金座を押へた時金座に何があつたか、天保錢、文久錢、一分金、小判合せて十五萬兩しかなかつた。徳川政府が三百年掛つて政權を持つてゐながら、それだけの金しかなかつたのです。二十八萬兩に十五萬兩で四十三萬兩と云ふものは、幕府の兵を動かすのに一箇月分しかない金である。即ち幕府が倒れたと云ふことは、財政に於て倒れたのである。どうにも斯うにもならなかつた。昔衣川の戰に義經が戰つた時辨慶が出て行つて數百本の矢を負つても辨慶は倒れないでえらいものだと思つてゐましたが、終ひに行つ
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