て見たら、辨慶は矢を負つて立ちながら死んで居つた。之を衣川の立往生と言ひますが、幕府は實は形は生きて居つたが、數十年間立往生をして居つた衣川の辨慶見たやうなものである。薩長が功勞があつたと言ふが、其立往生して居つた幕府をぽつと押倒したに過ぎない。斯う云ふやうなことで、黄金なくして權力はないから、中産階級が既に力が出來たときは何等かの形で政治に發言をするのは自然の勢であります。幕府の終りに於ては江戸に數萬の士が居つたけれども、彰義隊となつて上野に立籠つた者は僅かなものである。彼處へ立籠つた者は、下總、上州、群馬あの邊の土豪で、劍術を稽古して居つた者が出て來て、幕府の士と一緒に彰義隊を拵へたので、中心は土豪であつた。土豪は黄金があり學問があり、劍術を稽古して居るから、天下の風雲に乘じて何かして見たいと云ふのが出て來た。即ち中産階級が黄金を以て權力を取掛つて來た。是が泰平の世となつて、西洋に斯う云ふものがある、吾々の平生言ふ萬機公論と云ふのは、成程西洋の議會に似て居るぢやないか、それを一つやらうぢやないかと云ふことが議會の始めで、形は西洋のものであるが、之を要求すべき中産階級は既に成長して居
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