となつて、經濟上の色々な機構が生れて來て自然に發達して居れば、日本は歐洲と同じ所へ行つて居る筈なのである。然るに徳川氏が關ヶ原の一戰に勝つて、關ヶ原から逃げ散つた所の豐臣氏の家來、之に耶蘇教徒が[#「耶蘇教徒が」は底本では「耶蘇數徒が」]多い。蘇耶教徒は外國へ行つて居るのもある。之と交通して又再び反革命を起しはしないかと云ふ心配から、一切外國へ出ることはならぬ、外國へ行つた者は歸つてはならぬ。外國と商賣することはならぬ。外國との商賣は支那人とオランダ人が來るから、それに許す、斯う云ふことにしたのです。所が日本人は唯座つて支那人が何か買ひに來ると賣る、オランダ人が買ひに來ると賣ると云ふだけである。オランダ人が持つて來たものを、向ふの言値で買ふと云ふだけである。商賣と云ふものは、天下を自由に歩いて高い處に賣り安い處から買つて來るのが商賣であるが、それが出來ないのです。支那人は勝手に日本の物を買出して持つて行く、オランダ人は高い物を賣付けて物を安く買出して行く。是が殆ど三百年間續いた。それで全く自然の状態から日本の經濟機構は後戻りをしなければならぬことになつて、總てが不自然になつて來た。水が
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