未だ曾て同じからざるはなし、其同じきを忘れず其異なるを怪しまず、少しも欺くことなかれ、且つ彼之れを知らずと雖も、我れ豈之を知らざらんや、若し他の仁人君子を見れば即ち父師の如くに之を敬ひ、以て其國の禁令を問ひ、其國の風教に隨ひ……」斯う云ふ訓令を授けて居る。イギリス邊りの自由主義と云ふのは、東印度邊りと商賣をして、或る會社が利を專らにする、それに對して吾々も參加したいと云ふのがイギリスの自由貿易の起りでありますが、一國の政府が外國へ出る商人に對して、貿易とは人を損じて己れを利するに非ず、己れを利し併せて他を利するなりと云ふ訓令を與へたのは、恐らく世界の歴史あつて以來家康が初めであると思ふ。此文章を書いたのは林羅山と云ふ漢學者であります。漢學者は親孝行とか何とかばかり言ふかと思ふと、立派な理窟を知つて、其意見が政府の政策となつて現はれると云ふのは、學者も隨分使ひ甲斐のあるものと思ひます。
以上の如く日本はアメリカと國を開いて交はる以前に立派な文明を持つて居つたのです。それがどうして西洋と違つた形になつて來たかと言ふと、是が徳川氏の非常な過失である。今のやうな奴隷經濟から土地經濟、貨幣經濟
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