と人が集まらぬ。すつぽかして自由にさしたらどうだ。町人もさう言ふから、それを許して見たらどうだと云ふので自由にしたのを名づけて樂市と言つた。所謂フリーマーケツトです。それをやつて見ると、どん/″\人が寄る。成程之に限る。人が澤山寄れば町が潤ふ、町が潤へば大名に税を出すことも出來ると云ふことで、樂津、樂市と云ふムーヴメントがありまして、信長は其樂津、樂市の説を採つて、之を實行してさうして、秀吉が更に之を大成したのであります。偖て秀吉の後に徳川家康が出て來たことは御承知の通りであります。是は又秀吉と同じことで商賣は自由でなければならぬと云ふことを信じて居ります。是が元和二年と云ふと西暦千六百六十年ですから、家康が天下の主人となつて二十年以後でありますが、安南へ商賣に行く彌七郎と云ふ船乘がある、之に對して商賣を差許すチヤーターを與へる。但し此許可を與へるに付ては此事を心得ろと云ふ訓令があります。「凡そ會場の事は、有無を通じて以て人と己れとを利する也、人を損じて自ら益するに非ず、利を共にする者は小と雖も却て大也、利を共にせざる者は大と雖も却て小也異域の我國に於ける風俗原理異なると雖も、天賦の理
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