と云ふものも外ではない、大日如來は即ち天照皇太神である。現はれる所は違つて居るが元は同じことなんだと云ふ説を唱へ出して、神道と佛教の統一を圖つた。それが數百年經つてから神佛混淆して、神樣の所に佛樣があつたり、佛樣の所に神樣があるやうになつたのですが、今申上げたやうに、東ローマのイソーリアン法王は權力を以て宗教を統一して、反對の宗教を滅してしまひましたが、行基は反對を滅さぬで、反對の方も皆統一してしまつて、天照皇太神は即ち大日如來だと云ふことで、之を統一をしかけた。結果は違ひますが、宗教を統一すると云ふ考は同じことであります。
それから日本に近年自由貿易と云ふことも唱へられて來ました。斯う云ふ統制時代になつては、自由貿易と云ふことも行詰つたやうでありますが、併しながら自由貿易なるものは世界普通の状態に於ては立派な眞理である。唯各國が墻壁を築いて重税をかける、割當をする、禁止をすると云ふやうなことをするから、自由貿易が行はれないが、世界の形勢が變れば、やはり自由貿易になるであらうと思ひます。其自由貿易と云ふフイロソフイーは吾々は西洋の學者から習つたのでありますが、併しながら學者が説を立て
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