一種の村若くは町であります。其中で座をやるやうな人間が有力者なのであり口利であり金が使へる。それが中心となつて所謂人民自治、自治してゐながら、實は權力者がやる。上の者がやらないで下の權力者がやつて居る。然るに京都に於てやはり同じ状態で上京下京と云ふものがある。足利時代の中頃に上京と下京とが戰爭をしたことがあります。上京も下京も其中心は何であつたかと言ふと、座の商人が中心で戰爭をした。上京下京は自治體とは今日言ひませぬが、其頃は自治體であり、座がその中心で、それが戰爭せいと言ふと戰爭をすると云ふやうなことで、此點は西洋のギルドと同じことで、而も是は何かと言ふと、ギルドはキリスト教の神に仕へる儀式から是が出來て、向ふのギルドの元は神樣にあるやうに、日本の座の元はやはり神樣から起きて居る。洵に不思議な位一致して居るのであります。斯う云ふ譯ですから、日本の歴史は即ち西洋史と同じく世界史の一部分なのです。違つた所はあるが、共通の所がある。地理學者から聽きますと、世界の地層と云ふものは何萬年前には斯う云ふ土があり、何萬年後に斯う云ふ土があつて、地球を横斷して見ると地層は皆同じことだと、言ふのです。
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