憲法でありまして、聖徳太子の憲法などは道徳を言ふだけであるが、大寶令は政府の組織、それから奴隷制度、商賣の制度、監獄の制度、交通の方法一切を規定した立派なものなのである。是は支那の法律を餘程採りましたが、さう云ふ立派な法律を作り得る程の頭の學者、政治家があつたのです。其位に立派に出來て居つたのですから、歐羅巴から文明を受けて初めて日本が半開國から立派な國になつたと云ふことは是は誤解であります。
もう一例を擧げますと、今申上げたやうに西洋では貨幣經濟時代になりまして色々に經濟機構が變つて來て、此數百年間の經濟機構の中心はギルド即ち同業組合と云ふやうなものであつたのです、吾々は此ギルドと云ふものを見て、あゝ成程西洋の商人は立派なことを考へると思うて居ると、豈圖らんや、日本では既に座と云ふものが出來て居つて、是が即ち一種のギルドである。座と云ふものは何かと言ふと、金座、銀座と云ふ、諸君が人形町をお通りになると金座と云ふ處がある。あれは金貨を拵へる金座と云ふものがあつた其跡だから金座と言ふ。座と云ふものは何かと言ふと、特許せられたる商賣であります。それで我國でも貨幣經濟となつて色々の制度が出
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