金物を造ると云ふ技術があつたといふことなのです。唯一人や二人で出來るものではなく一般の風習にならなければ其技術は出來るものではない。其位な文明があつたのである。今申上げた大寶令時代には貴族の家は立派な瓦で屋根を葺いて居りました。今日言ふ金漆が既に大寶時代には出來て居ります。今何と言ひますか透して先の見える透織と云ふ綾織があります。是は中々精巧な織物でありますが、此透織の織物がもう大寶時代には出來て居る。奈良の大佛はあれは其後變つたものでありますが、一丈六尺の金銅、金と銅と合せた金銅の佛像を作つて居りますが、其金銅佛を作ると云ふことはそれだけぢやない。それを生出す計畫を立て原圖を拵へてやるだけの技術が最早出來て居つたのです。是は僅に其一例を擧げたに過ぎませぬ。
 西洋ではジヤスチニアンの法律と云ふものがあつて、是は古今の法律の中でも立派なもので西洋の歴史の中で最も秀でた山と言はれて居る。其ジヤスチニアンの法典と云ふものは西洋の法典の中最高峯と言はれて居ります。それは西洋の紀元五百二十九年に發布せられたもので、我國の大寶令はそれから百七十年程遲れて居りますが、大寶令と云ふものは一つの立派な
前へ 次へ
全41ページ中21ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
竹越 与三郎 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング