、目は吊上つて齒が飛び出て髮の毛が棕櫚見たいに突立つて居る妙な顏を描く、ポンチの顏を描く積りでないが、西洋人が描くと日本人がさう寫るのです。さう云ふことのあるやうに、日本も西洋人が見ると兎角間違ひ易い。第二には日本人自體が間違つて居る。近世文明と云ふが是は皆西洋人から借りたものである。西洋なかりせば日本は發達しない。是は西洋から歸つて來たり、新しい學問をする人がさう思ふ。第三は我國は神國であつて決して他國と同じ國でない、隨神の國であるから外國などと質が違ふのであると云ふ神憑の議論である。此三つがあると思ひますが、是は固より間違ひと思ひます。外國人がどうして間違ふかと云ふと、日本が嘉永六年亞米利加のペルリに迫られていや/\ながら國を開いたのでありますが、それから四十何年明治三十年頃には立派な近世化した日本となつた。西洋各國では封建時代の域を脱して近世國家となるのには長きは三百年、短いのでも百五十年掛かつて居る。然るに日本は僅に四五十年で近世日本を拵へた。不思議だ、ミラクルである、是はどう云ふ譯であらうか、此ことは餘程の問題だと云ふ譯である。それに付て第一疑を抱いたのが佛蘭西のオーギスト・
前へ 次へ
全41ページ中3ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
竹越 与三郎 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング