ので、吾々は第一東京に住んで居つて東京全市がどうなつて居るかと云ふことは能く分らない。向ふ三軒兩隣しか實際知らない。其他は風の噂、新聞の報道などで想像して居るやうな譯であります。吾々日本のことに付て色々言ふが、實は日本のことをはつきり分つて居る人はどの位あるか頗る疑問なのであります。それで日本を先づ寫して見なければなりませぬ。其寫す鏡が頗る乏しいのです。所謂山鳥のおろの鏡で、山鳥と云ふものは自分の體が非常に綺麗だと思つて、河へ臨んで自分の姿を寫して、あゝ綺麗な鳥だと思つて居る中に自分自ら迷つて水に落ちて死んでしまふ、愚ろかな鳥です。之を山鳥のおろの鏡と申します。日本を寫す鏡はどうも山鳥のおろの鏡もなきにしもあらず、又正しき鏡を持つて居つても其鏡は目を寫すなり、鼻を寫すとか、部分的にしか寫らないで、六尺大の一枚磨の大きな硝子へ寫すと云ふやうな鏡を持つて居る人は甚だ少いやうに思ふのです。そこで私は日本の眞の姿はどうなつて居るかと云ふことを研究して見たいと思ふのであります。
日本に付ては三つの見方があると思ふのです。第一に外國人が見た日本、是は幾ら上手な油繪描でも西洋人が日本人の顏を描くと
前へ
次へ
全41ページ中2ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
竹越 与三郎 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング