得る土地を公田と云ふのですが、公田よりも莊園の數が多くなつてしまつた。朝廷を支へるのは公田から來る租税で支へて行くのですが、公田が段々少くなつてしまつて皆莊園になつてしまつた。奴隷と云ふものは今まで公田即ち地方官の勢力のある公田と云ふ土地を耕して居る其百姓に使はれて居つたのですが、莊園と云ふものが出來て大變樂なものださうだ、彼處へ入れば苦役を免かれるのであるからと云ふので、奴隷が何時の間にか莊園へ流れ込んでしまつて行方が分らない。數百年の間逃げる途中で捕つたり殺されたりした者があるが、結局そんな有爲轉變の間に奴隷は何時の間にか砂に水を撒いたやうに引いてしまつた。さうして莊園が非常に強いものになつて來た。英吉利のマノール・ランドも其通りです。マノール・ランドにどん/″\人が入り込んでしまつて、其のときの王樣とか何とかの苦役を離れてしまひますから奴隷が何時の間にか分らなく消えてしまつた。莊園と云ふのは一面から見れば朝廷の土地を一個人が奪ふのであるから甚だ不法であるが、同時に之が爲に奴隷制度が消えたと云ふのは一つの好い效果だと思ふのであります。
偖てさう云ふ風に莊園が出來て、莊園は今までは
前へ
次へ
全41ページ中12ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
竹越 与三郎 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング