利の如きは丁度同じ時代に奴隷が段々少くなつて來てマノール・ハウスが出て來た。マノール・ハウスは日本の莊園見たいなものである。封建制度の前身でありますが、マノール・ランドと言ひまして別莊地と言ふのです。何處々々の土地は貴族のものである、豪族のものであると決めてしまつて、其處に住んで居る人民から税を取ると云ふことを本として來ましたから、茲に於てか奴隷が段々減つて土地を澤山取ると云ふ習慣になつて來まして、そこで土地を本として經濟を立てると云ふことになつて來た。日本では莊園と云ふものがあつたことは皆さん大抵御承知でせうが、之の起原は次の樣な譯であります。即ち大化革新に於て天下の土地を分けて百姓に平均一人二反歩づゝ呉れると云ふことになりましたが、是は支那の法律の飜譯なのです。其頃留學生や坊さんが支那へ留學して行きました。所が支那は其頃唐の大宗と云ふ天子の頃で盛んであつた。其唐の制度、唐以前の制度を見た所が、土地を持つことを制限して、豪族が餘り土地を兼併しないやうにすると云ふ時代であつたが、是こそ眞理である、之が國を救ふの道だと思つて歸つて來た留學生は持つて來た法律を飜譯して日本に應用したのです。其隋の法律や唐の法律を文字其儘使つて居りました。そこで日本の事情と云ふことを考へないで土地を[#「土地を」は底本では「士地を」]分割して制限すると云ふことになつて來たのですが、併し是は日本人の自然の勢ひに副はないのですから、段々何時の間にか毎年土地を變へると云ふことが三年に一度になり、五年に一度、十年に一度、甚しきは六十年に一度思出したやうに土地を分割すると云ふことになり、到頭土地分割は止めになつてしまつた。そこで人口は殖えて耕作せられた土地が多くなつて來たので之を持ちたいと云ふ希望が朝廷の貴族、大官あたりに非常に盛になつて來ましたから、土地を持ちたいと云ふことを法律化して來たのです。それはどうするかと云ふと、其頃お寺と神社には今申上げたやうに土地を澤山持つて居つても差支ない、之を分割して百姓に分けてやらないで宜いと云ふことであつた。そこで其神樣と佛樣の持つて居る土地は寺のものであり神社のものであるから、役人は入ることならぬ。其處から租税を取ることはならぬと云ふことにしたのです。そこで神社は人を使ひお寺も奴隷を使ひどん/\耕作して、其米の收入に依つて富を増すと云ふことになつて來た。朝廷
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