日本の眞の姿
竹越與三耶
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)右大臣|阿部の御主人《アベノオヌシ》
|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)右大臣|阿部の御主人《アベノオヌシ》
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数)
(例)※[#二の字点、1−2−22]
/\:二倍の踊り字(「く」を縦に長くしたような形の繰り返し記号)
(例)いや/\ながら
*濁点付きの二倍の踊り字は「/″\」
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只今後藤さんから御紹介を得まして、頗る過當な御評價でくすぐつたい思ひを致しました。併ながら名物に旨いものなしと申しますから、御紹介通りのことを申上げることが出來るか、頗る自信を缺いて居ります。私は今晩は日本の眞の姿と云ふことに付てお話を申上げたいのであります。希臘の哲學者の言葉に、人間第一の務は己を知ると云ふことだと申して居ります。洵に適切の言葉と思ひます。是と同じく日本人は日本自體を知らなければならぬと思ふのであります。所が日本に付ての知識と云ふものは極めて貧弱なもので、吾々は第一東京に住んで居つて東京全市がどうなつて居るかと云ふことは能く分らない。向ふ三軒兩隣しか實際知らない。其他は風の噂、新聞の報道などで想像して居るやうな譯であります。吾々日本のことに付て色々言ふが、實は日本のことをはつきり分つて居る人はどの位あるか頗る疑問なのであります。それで日本を先づ寫して見なければなりませぬ。其寫す鏡が頗る乏しいのです。所謂山鳥のおろの鏡で、山鳥と云ふものは自分の體が非常に綺麗だと思つて、河へ臨んで自分の姿を寫して、あゝ綺麗な鳥だと思つて居る中に自分自ら迷つて水に落ちて死んでしまふ、愚ろかな鳥です。之を山鳥のおろの鏡と申します。日本を寫す鏡はどうも山鳥のおろの鏡もなきにしもあらず、又正しき鏡を持つて居つても其鏡は目を寫すなり、鼻を寫すとか、部分的にしか寫らないで、六尺大の一枚磨の大きな硝子へ寫すと云ふやうな鏡を持つて居る人は甚だ少いやうに思ふのです。そこで私は日本の眞の姿はどうなつて居るかと云ふことを研究して見たいと思ふのであります。
日本に付ては三つの見方があると思ふのです。第一に外國人が見た日本、是は幾ら上手な油繪描でも西洋人が日本人の顏を描くと
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