唯畑や田圃にずつと連絡したものでありましたが、其莊園には役人が居り、支配人が居る。租税を取つたり何かするのには役人が要る。澤山の人が集まると泥棒も出て來ると云ふので、泥棒を防いだり租税の監督をしたりする爲に先づ郡役所と云ふやうなものが自然莊園に出來る。持主は京都に居る。唯出先の支配人が居る役所が出來る。其役所で自然に泥棒を防ぐ爲に、或は官吏が威張る爲に、段々一種の地方政府見たいなものが其處に出來て來る。さうすると地方政府の役人に奉仕する爲に小間物屋も出來れば機屋も出來ると云ふ譯で一種の町が出來る。さうすると其處に經濟上の中心が出來て來て、唯莊園から鷹の羽を取るだけでは詰らぬ。米、味噌を取るだけでは詰らぬ、物を買ふと云ふ必要が出て來て、貨幣制度が其處にやつと成立つて來て、どん/″\貨幣で物を買ふと云ふことになつて來て、莊園が貨幣制度の發祥地になつて來た。茲に於てか今までは天下の土地は澤山あつたが莊園に分割してしまつて餘分はないのである。誰でも取れると云ふ土地はなくなつて來たから、今度は其貨幣を澤山持つて居る人が勢力があると云ふことになり、是に於てか貨幣制度が出來て來たのです。此通り最初は奴隷經濟、次は土地經濟、其次は貨幣經濟になる。即ち何處の國を見ても第一奴隷經濟、第二は土地經濟、第三は貨幣經濟と言ふ順序になつて居る。是は世界共通何處の國でも其例を外れるものはないのです。日本獨り此例に外れることはない。皆西洋の歴史と同じことなのです。勿論人間は皆二つの目、一つの口、鼻、二つの耳、是は決まり切つて居るが、其人の血液の工合で色々顏の形が變つて來る。人の備ふべき機關は同じことであるが、それが集つて顏になるときには千萬人悉く違つた顏をするやうに、各國共に歴史の過程は同じことであり、起源も同じことであるが、其現れ方は別々になつて來る。だから各國共通と言つても同一とはいかない。江南の橘は江北に行けば枸橘となると云ふやうなもので、其土地に依つて形は變つて來るが原則は同じことである。然るに西洋人は日本が各國共通の過程を經て來たものであると云ふことを知らないで、突然日本へ來て此半開國が五十年の間に近世國日本になつたのは不思議だと思つて、どうも此疑問は解釋出來ぬと云ふが少しも解釋の出來ぬことはない。此通り西洋各國と同じことを經て來たのです。
そこでもう一つ同じことを申すが、此莊園の中か
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