。私は先年ソヴィエトの映畫の「トゥルキシブ」と題する一つの畫面にそれに似た自然の目ざめを捉へたところがあつたのを思ひ出し、私に寫眞技師の自信があつたら、その愉快な自然の動きをフィルムに收めて置きたかつた。
やがて汽車は川から離れた。私は明日の講演の材料にしようと思つて持つて來た本を開いてゐた。そのページの上に、ときどき小鳥の影が落ちては急速に過ぎ去つた。左側の窓からは、もうどうしても春以外のものとは思へない陽光が一ぱいに流れ込んで、どこからまぎれ込んだのか蠅が一匹、ガラス窓にとまつたり私の手にとまつたりしてうるさかつた。
長野で山崎氏に迎へられ、それから長野電鐵で、須坂《すさか》を經て平穩《ひらを》へ行く間に、今朝から快晴を見せてゐた空は、次第に陰鬱になり、白いものをちらちら落して來た。飯綱は善光寺の町の上に白い姿をどつしりと現はしてゐたけれども、その先にあるはずの黒姫も妙高も雪空に遮られて見えなかつた。
この天候の急變は、ちよつと私を面くらはしたが、考へて見ると、私自身の身體が一時間約三十キロの速度で或る天候區域から他の天候區域へ運ばれて來たことを忘れてゐたのである。それで山崎
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