つぽく煙つて見えるのも、大氣の中には春がすでに動いてゐるからであらう。
 しかし、地上の冬の頑固なこだはりは、ここいらでは思つた以上にまだ執つこく、少くとも積雪の分量は標高の大小には因らないものと見え、われわれの列車が次第に佐久平を下の方へ降つて行くにしたがつて雪消の度合は却つて少く、小諸あたりまでは、輕井澤附近と同じやうに、畑の畝が目だつほどに雪が薄くなつて、ところどころ土の肌さへ見えてゐたのに、もつと降つて上田邊へ來ると、畑も田も深深と雪に埋もれて、どれが畑だか、どれが田だかも、わかちかねる有樣だつた。家家の屋根にも、垣根にも、木の枝にも、雪が厚く殘つてゐた。
 けれども、その間からも、やはり、ちよつとした物の片隅に、また、ちよつとした物の動きに、すでに春のきざしの始まつてゐるのを見のがすことはできなかつた。戸倉の温泉を左に見て、千曲川の川縁を走つてをる時であつた。ふと氣がつくと、青く淀んだ川水と雪に蔽はれた磧《かはら》の境目のところに、非常に小さい風の渦が起つて、そこに遊び戲れてゐる日光の中に絹糸のもつれのやうな陽炎が立ち、それにこすられては磧の雪が少しづつ水の中に溶け込んでゐた
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