あるとは聞かないといふ。パリからロンドンへ歸ることについて聞いて見ると、英國へ入るには査證《ヴイゼエ》がいることになつたが、パリではそれを取るのが厄介だから、エスパーニャで取つて來た方がよいと思ふ、といふことだつた。
 それから、大使館では郵船靖國丸を徴發して、フランス在留の邦人を乘せる用意をしてゐるが、靖國丸はドイツ在留の邦人を乘せて、今ノールウェイの港に避難してるといふことだつた。
 靖國丸は私たちを日本からポート・サイドまで運んでくれた船である。それから何度目の航海だらうかと考へて見た。ドイツ在留の邦人を乘せて避難したといへば、スコットランド行を約束した谷口君はもうそれに乘つてるのかも知れないと思つた。
 通話はI君も傍で聞いてゐた。靖國丸を呼ぶといつても、ノールウェイに避難してるのだとすると、もし戰爭が始まつたら、さうさう簡單にフランスには(アーヴルかどこか知らないが)寄りつけまい。月末までエスパーニャで遊んでゐても大丈夫だらう。――私たちはシャンパンを飮みながらさういつた結論を引き出した。
 しかし、戰爭が始まるとロンドンとパリには一番に爆彈の雨が降るだらうと一般に信じられて
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