ゐた。すると、交通が杜絶して、イギリスはもちろん、フランスにさへ歸れなくなるかも知れない不安があつた。
 バーのラディオにパリからのニューズがはひつて來た。アルマーニュ(ドイツ)の動員のことが放送されてゐる。東部國境へは三十箇師團の兵力が送られてゐる。パリ、ロンドンとワルサウ間の通信は斷えてしまつた。等、等……
 いつの間にかバーの前には通りがかりの人が三人五人と足を留めて、默つて耳傾けてゐた。そこへ一人の年とつた女が、犬を牽いた子供の手を引いてやつて來て、竝木の蔭に立ちどまつて聞いてゐたが、子供と犬はたえず動きまはつてるけれども、彼女だけは身動きもしないで、最後まで熱心に聞いてゐた。息子でも召集されたのではないかと私は想像して見た。
 その想像は恐らくまちがつてゐなかつただらう。といふのは、私たちはバーを出て近くの文房具屋をおとづれた。私の旅日記の手帖と繪端書を買ふためだつた。その家もI君の顏なじみで、日曜で締まつてゐたガラス戸ごしにかみさん[#「かみさん」に傍点]の顏が見えると、I君はそれを開けさせて、私を誘つて内へ入つた。さうして、みんな變りはないかと聞いた。肥つたかみさん[#「
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