の西南端の村)と川をさし挾んで、川が國境となつてゐる。つまり、橋の中央が國境となつてゐる。それで、橋の手前にはエスパーニャの兵士と税關吏が、橋の向側にはフランスのそれ等の者が、どちらも鐵道の踏切の横木のやうな物を下して張番をしてゐる。この國境はやかましいのださうで、特にエスパーニャ側の方がやかましいといはれて居る。二三臺の車が止められて調べられてゐた。しかし私たちの車は、入る時と同樣、旅劵を見せただけですぐ通れた。橋を渡ると、フランス側のたもとでは、子供が四五人遊んでゐた。
アンダイエはピエール・ロティの晩年に住んでゐた村で、沿道から少し入つて行くと、いまだにその家が保存されてあるから、ついでがあつたら訪問してはどうだと、いつぞや柳澤健氏に勸められたことがあつたが、その日はパリの聲を早く聞きたいので歸り道にでも寄つて見ようと思ひ、そのままサン・ヂャン・ド・リュズの方へ車を駈けさせた。
サン・セバスティアンからサン・ヂャン・ド・リュズまでは僅かに三〇キロに過ぎない。サン・セバスティアンそのものがエスパーニャとしてはエスパーニャらしくない、謂はばフランスらしい感じのする土地であるが、そ
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