車は非常な混雜を豫期しなければならないので、持物は各自兩手で持てる程度に限つてもらひたいといふ通告を私たちは受けてゐた。私は明日彌生子を停車場へ送つて行くついでに、念のため自分の持つべきスーツ・ケイスを二つ別に持つて行き、もしどの列車かに乘れたらば乘り、乘れなかつたらその時のことにしようときめて、寢床にもぐり込んだ。
 パリの町はシンと靜まりかへつてゐた。いつも眞夜中にも聞こえるモン・パルナスの大通の車の音がその晩は一つも聞こえなかつた。逃げるだけの人は皆逃げてしまつてるやうな氣がした。
 ――明日はわれわれの逃げる番だ!
 さう思つて、しばらく感懷にふけつてゐたが、すぐその下から、
 ――しかし、今夜にも空襲があつたら?……
と、さう思ふと、靜まりかへつた窓の外の空氣が却つて何となく薄氣味わるく感じられるのだつた。
 けれども、終日の心勞に打ち負かされて、間もなく深い眠に落ちた。

       六 パリ落

 九月二日。
 開戰第一日のパリの夜は靜かに明けはなれた。空襲の不安を人人に感じさせた昨夜の暗さがうそ[#「うそ」に傍点]のやうに思はれた。それほどパリの昧爽の空は明るく、晴れ
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