かで、行きつけのカフェのテラスにもあいた椅子が多かつた。
 私たちはいつもの習慣で、カフェを飮み、クロワサンをかじりながら、しばらく往來の人通りを眺めてゐた。見たところ、別に變つた樣子はなかつた。廣場の向うの隅には、ロダンのバルザックがどてら[#「どてら」に傍点]を引つかけた湯歸りのやうな恰好をして、初秋の朝の日光をまぶしさうに浴びて立つてると、その手前の町角には見覺えのある若者が新聞を賣つてゐる。私たちの掛けてる横手の町角でも、小さい出し店の中で、腕の逞ましい、男のやうないつものかみさん[#「かみさん」に傍点]が相變らず無愛措《ぶあいそ》な顏をして新聞を前に列べてゐる。私はそこへ行つて一枚買つて來た。
 見ると、ヒトラーのポーランドに對する要求項目の主要なものが發表されてある。曰く、ダンチヒ自由市の即時返還。曰く、「廊下」地帶の人民投票に依る歸屬決定。曰く、人民投票準備期間を一箇年とすること。等、等。これは三日前にポーランドに通牒されたのだが、今まで發表されなかつたものである。しかし、ポーランドはすでに一昨日「廊下」の入口を閉ぢてしまつたといふのだから、それが明かに要求の拒絶を意味す
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