りだした。
半月前に出た時はパリは美しい平和の都であつた。セーヌの河岸にはもうプラターヌの葉が黄いろくなりかけて、ノートル・ダームの下にはいつものやうにのどかな顏を竝べて釣竿をさしだしてゐる連中を見ながら、私たちはケー・ドルセーの停車場へ車を駈けらした。あの朝のことが何だかよほど以前のことのやうに思へる。それにしても、今日あたりパリはどんな風だらう?……
ダックスの停車場で買つたパリの新聞を彌生子はひろげて見てゐたが、それをのぞいて見ると、畫報面に、昨日撮影した寫眞がいろいろ出てゐる。ブールヴァル・デ・キャピュシーヌあたりかと思はれる街路のショウ・ウィンドウの前に砂嚢が高く積み立てられてあつたり、ルーヴルから彫像を包裝して運び出してゐたり、小學校生徒を地方へ連れて行くバスが通つてゐたり、名前とアドレスを記したカードを首に下げた少女たちが絡《から》げた毛布を提げて石のベンチに腰かけてゐたり、いづれも動亂の状況を想像させないものとてはなかつた。
私たちのコンパルティマンには日燒のした青年と黒づくめの服裝をした婦人が乘つてゐた。あとで話し合ふやうになつて、彼等はビアリッツの海水浴場に滯
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