要はない。息子を此處へ呼んで一緒に見物につれて行つたらどんなものだらう。さうもいつてくれるのだつた。
 さういはれると、私たちとしては、エスパーニャまで來てゐてマドリィもトレドーも知らないで去ることはいかにも殘念だから、(「あなたはエヂプトへ行つてピラミッドを見ないで歸つたのですか?」といふ諺もあることだし)、思ひ切つてもう少しねばらうかといふ氣もあつた。
 この二つの氣持の間を私たちは行きつ戻りつしてゐた。
 それを見てとつて、一晩考へてくれたと見えて、次の朝になると、公使は突然にいひだした。これから二三泊の豫定で一つ出かけることにしようではないかと。私たちは二人だけでマドリィからトレドーまででも行つて見ようかと話し合つてゐたのだつたが、公使は自分が車で案内してやるといつてきかなかつた。
 その日(二十八日)の午後一時、私たちはサン・セバスティアンを出て、四時半にブルゴスを通り、一望涯もない赤土の曠野を横斷して、日歿にガダラマ山脈の東の肩を越し、夜マドリィに着いた。サン・セバスティアンからブルゴスまで二四〇キロ、ブルゴスからマドリィまで二四〇キロ、合計四八〇キロ。その間、内亂の戰跡を
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