し早めにパリまで引き揚げることにしようかと話し合つた。私たちの荷物はパリとロンドンに分けて預けてあつた。戰爭になつて交通が混亂状態に陷れば、持ち歸れなくなるかも知れない。それはあきらめるとしても、私たち自身の身體の始末にもこまることにならないとは限らない。イギリスへは多分歸れないだらうし、フランスへは歸れるとしても、日本の船が來られるかどうかわからない。イタリアが戰爭に參加しなければ、ヂェノアかナポリからアメリカへ渡るといふ方法もあるだらうが、イタリアが中立を守るかどうかもわからない。……
その時はエスパーニャからポルトガルへ出て、リスボアで日本の船をつかまへるといふ手がある。と、矢野公使は注意してくれた。實際、N・Y・Kラインの船が時時思ひ出したやうにリスボアに寄港することがあるのは私たちも知つてゐた。だから急ぐことはない。せつかく此處まで來てるのだから、もう少し腰を落ちつけて、形勢を觀望しながら見物をつづけてはどうだらう。さういつてくれるのだつた。(私たちは樂しみにしてゐたマドリィもトレドーも、セヴィーヤもグラナダもまだ見てないのだつた。)それに息子に逢ふためなら、パリまで歸る必
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