。人のことはとにかく、私自身がさうである。私は西洋文學を專攷して、彼等の文學思想が彼等の文化或ひは國民性といかなる關係に於いて發生し發展したかについて、長い間考へても見、調べても見て、大體わかつてるつもりであつたが、實際彼等の生活の中に立ち交つて考へ直して見ると、自分の知識は或る特定の個人の意見であつたり、偏見であつたりすることを發見する場合が少くなかつた。だから、出直さなければだめだと考へた。西洋がわかるためには、自分を空しくして西洋の中にはひつて見なければわかる筈はないと考へた。
 さういふ心がまへになつて、私は自分の與へられた義務がすむと、あとの時日をばできるだけさういつた意味での見學に費した。しかし、私は文學研究者であり、文化研究者であるから、他の政治研究者・經濟研究者・軍事研究者等のやうな態度を取ることはしないで、專ら私自身の研究に役立つやうな見方をした。さうした研究の結果は、他日機會を得て、まとまつた形で發表したいと期待してゐる。
 此處に集めた十六篇はそれとはちがつた性質のもので、もつと輕い氣持での、見學して歩いた諸國の都市・風景・舊蹟・美術などに關する印象記である。私は
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