が、近代人はオスカー・ワイルドの劇で最もよく知っている。
それはヘロデの心によほど忘られぬ印象を与えたと見え、間もなくイエス・キリストの名が広まった時、彼は洗礼者ヨハネが蘇えったのだろうといった。最後にキリストがエルサレムに来て、パリサイ人の奸計に陥り、捕えられてローマの太守ピラトの前に引かれると、ピラトは彼をヘロデの手に渡した。ヘロデは初めてキリストを見たが、評判にも似ず、魔法も奇蹟も演じないのでつまらなくなり、彼をばピラトに返した。ピラトもヘロデもキリストの罪を認めなかったけれども、キリストは十字架の上に磔りつけられたことは皆人の知る通りである。その時の社会情勢をキリストに最も縁の遠いピラトとその友人の側から描いた短編がアナトール・フランスにある。
そんなことを思い出しながら見て歩いていると、キリストもマリアも何となく親しみが感じられるのは、ヨーロッパに於いての如く、壮厳にきらびやかに飾り立てられた寺の中や美しく塗り立てられた絵の前でなしに、エジプトでは、キリストが話しかけたであろうと同じようによごれた着物や跣足の間に交って、その影像を描いて見ることができるからだろうと思われた
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