化が行はれて、初めに設計された意匠が今日どの程度まで保存されてあるか、全然見當がつかない。娯まれてゐた嵐山の眺望が失はれたのは、その一つのいちじるしい實例に過ぎない。今後更にどれだけの甚しい變化が生じないものか、誰に保證ができよう。
位置を變へない植物について考へてもさうである。動く人間の體躯を素材とする舞臺藝術のことなどを考へて見ると、昔から嚴格に傳へられてゐる筈の型などといふものも、はなはだ心もとなく感じられる。伎樂は千年の昔すでに消えて無くなつてゐた。舞樂は今日なほ形ばかりは殘つてゐるけれども、それは靈魂の拔け去つた美しい屍骸に過ぎない。能樂はまだわれわれの手の中にあるけれども、併しそれは世阿彌の能樂ではない。否、秀吉や家康を喜ばした能樂でさへもない。もつと新らしい歌舞伎ですらも、元祿・化政のおもかげをそれに求めることは絶對に不可能である。舞踊・音樂だけではない。繪畫・彫刻・建築、すべて時の變化を蒙らないですむものはない。なんぞひとり桂の離宮の移り行く姿を嘆くを要せんやである。
――寓意。藝術はその作られた時に於いて最もよく生きてゐる。
笑意軒
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