離宮の庭木は皆伸び過ぎてゐる、と云はれて、女松山の女松の話をされた。それは書院から松琴亭の方へ池づたひに行く左手の丘陵で、今日ではただ一本の大きな赤松が釣合のとれないほどに高く聳えてゐるきりであるが、昔は丘陵の上に程よい大きさの赤松が一面にむらだち繁つて、それに吹き入る風の音と、その下の落口の音が合して、琴の音色にきこえたといふ。女松山の下の汀に立つて、澄み透つた池水の底の、灰色の泥の上に、川蜷《かはにな》のやうな細い貝が縱横に痕を殘して這ひまはつてゐるのを見て居ると、旅に出てのどかな長汀曲浦にさしかかつた時のやうな氣持にはなれるが、なるほど、其處には、あつてよささうな松原はもはやなく、ただ一本のべらぼうに大きく伸びた赤松があるきりだつたのは、周圍の調和配合の上から見て、たしかに間《ま》がぬけてゐた。
 遠州の設計で此の庭の造られたのは天正十九年だと云はれてゐる。それから約三世紀を經過した今日までの庭の變遷のことを私は考へて見た。年がたてば伸びたでもあらうし、時期が來れば枯れたでもあらう。それには刈込もされたであらうし、植替もされたであらう。もともと生きた植物のことであるから、不斷に變
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