法を、今一つ思ひきつて更に大膽不敵に、而かも斷えず動く日光を素材にしての手法は、たとひそれが一年のうちの或る限られた季節の、或る限られた時刻のものであるとしても、どうしてそれが小堀遠州の創意でないといふ證明がつけられ得ようか。
――此の感想の寓意は、藝術はどの時代のものでもわれわれの見る瞬間に於いてのみ感じ得るものだ、といふことである。
賞花亭
松琴亭から山道を辿つて、螢谷の孟宗竹を左手に見おろしながら月見臺へ出ると、その傍に一つの異風な亭が立つてゐる。賞花亭と名に呼ばれれば、桂の離宮の一景物らしくも聞こえるが、以前は紺と白の染分の暖簾の「たつた屋」と書いたのが軒に垂れてゐたといふ。ことほど左樣に、鄙びて、下世話にくだけた、どこか古驛の茶店といつたやうな感じのする建物である。
そこに腰をおろして向を見わたすと、昔は庭木の梢を越して遠く嵐山の櫻が眺められたさうだ。亭の名はそれから來たのである。しかるに、今では、前方の三御殿のうしろの樹木が高く伸び繁つて、眺望は全く遮斷されてゐる。
そのことを、東京に歸つて謙齋先生に話したら、賞花亭だけではありませんよ、一體にあの
前へ
次へ
全8ページ中3ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
野上 豊一郎 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング