たと足を留めた。和辻君は、此の部屋の障子に腰のないのは、此の日影の效果を豫想しての小堀遠州の考案ではあるまいか、と云つた。私は、さうだね、と云つて考へた。
私たちの訪問は大正十五年十一月八日午後三時ごろだつた。
その時、私のあたまの中では、秋の日ざしと、冬の日ざしと、春の日ざしと、夏の日ざしのことが比較された。それから午後の太陽の角度と午前の太陽の角度のことが比較された。それから、晴れた日と、曇つた日と、雨の日のことが比較された。それから……
併し、百の辨證の與件も何にならう。現に私たちの目の前には、恐らくいかなる美術家も想像し得ないであらうほどの、獨創的な、印象的な、すばらしい圖案が、二枚の障子の上に描き出されてあるではないか。さう私は思つた。その考案者は小堀遠州であつたか。それとも、太陽を動かしてゐる自然であるか。それを、その場合、咄嗟にきめることはできなかつた。けれども、私たちの前に一つのすばらしい藝術品があつたことだけは事實である。
書院から泉水を隔てて約二百メイトルの小山に立つ松琴亭の床の間には、白と青の方形の加賀奉書が大きな市松模樣に貼られてあつた。その大膽不敵な手
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