かして行ける者は一人もなかつた。馬は私の乘つた馬だけが精進の馬で、あとは皆本栖の馬だから、村に入ると馬子は皆んな自分の家へ寄つたり、徃來に立つてゐる人に物を云つたりした。その間に虚山君の馬の口を曳いてゐた子供の母親らしい女が駈け出して、紙に包んだもの(大方菓子だらう)を小さい懷に入れてやつた。
村を左へ折れて坂を上つて行くと、右手に湖水が遠くまで湛へてゐるのが見渡される。西湖よりも餘程大きさうである。湖はすぐ見えなくなり、木立も盡きて、まともに八月の太陽の光を浴びながら、石の多い道――と云ふよりも、凸凹の甚しい岩――の上を手綱を緩めたり締めたり(下りには緩めて、上りには締めろと教へられたので)しながら、馬の數倍の用心をしいしい進んで行くうちに、いつしか驚くばかり壯大な景色の中に立つてゐた。私は輕井澤から追分へかけての高原を歩いたこともあり、妙高山の高原を歩いたこともあるけれども、これほどの雄大な高原はまだ見たことがなかつた。富士は半分以上雲の中に隱れてゐたが、右の方にすぐ龍ヶ岳が聳えて、その山と富士の中間の臺地が私たちの前に限りなく遠くまで起伏してゐるのである。皆んな口口に、いいね、
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