見たが、これはまづくて食へなかつた。そこで槇村君の例の大カバンからシカゴ製の罐詰を出して口直しをした。
厚意ある桃太郎君とその細君と肥大したその母らしい人を相手にして私たちが行先の道筋について相談をしてゐる時に、婦人を乘せた山駕籠が一梃森の方から湖の方へ私たちの前を通つて行つた。その婦人は駕籠の外に袖を垂らして團扇をつかつてゐた。その後から白い兩手をむき出しにして帽子をかぶつてゐない若いアメリカ人らしい青年と、あひの子らしい髮の赤い日本服(浴衣)を着た少女がついて行つた。さうして最後にリユックサックを脊負つた中年の日本紳士がついて來たが、その人だけが私たちの休んでゐる家に入つて來て、桃太郎君と長いこと話をしてゐた。あとから聞くと、その人が精進《しやうじ》ホテルの支配人だとか持主だとかいふことであつた。山駕籠の婦人はその細君で、病氣のために東京とか甲府とかへつれて行くのだといふことであつた。
やがて其處を出て森へかかると精進まで一里三十丁といふ標柱が立つてゐた。なでしこが澤山咲いてゐたが、それよりも薊の葉の大きく生き生きしてゐるのが氣持ちよく見られた。併し私たちの失望したことは、何處まで行つても道が森の中へ入らないで、森の外ばかりを縫つてゐることであつた。さうして山の裾の右側で、日がまともに照りつけるので、暑くてたまらない。槇村君は大町桂月の紀行を讀んで來て、仰いで天を見ずといふ句があつたけれども、これでは仰いで木を見ずだと云つて不平をこぼした。道案内の人夫をつかまへて、外《ほか》に森の中を通れる道があるのではないかと聞いても、それは西湖へ出ないで船津から鳴澤を通つて行く時のことで、根場へ上つた以上は此の道より外に行きやうはないといふことだつた。それなら風穴《ふうけつ》へ出る道(これは案内記で知つた)があるだらうと云ふと、知らないといふ。無能な道案内だとは思つたがあきらめることにして、中を通つたら涼しさうに思へる深い森林をよそ目に見ながら、暑い思ひをしてやつとの事で精進湖の縁に辿りついた。その五六丁手前で、一臺のガタ馬車が後から來て私たちを追ひ越して行つた。その中にはさつきのアメリカ人らしい青年と浴衣を着た髮の赤い娘が乘つてゐた。
湖水の縁まで下りた時には、その二人の男女は白いボートを漕いでホテルまでのまん中ほどへもう出てゐた。ホテルは對岸の突き出た崖の上に支那カバンを載せたやうに載つかつてゐた。人夫が大きな聲で呼びかけたけれども、ボートは歸つて來なかつた。丁度そこに二人の村の男が立つてゐたので、それに頼んでホテルまで舟を出して貰ふことにした。村は右手の山を越えて半里ほどの所に在るから此處から普通ホテルへ行く人は大きな聲でどなるのだ。さうするとホテルの人が聞きつけてボートで迎へに來るのだといつた。のんきで面白さうだけれども、不便と云へば此の上もない不便である。ホテルまでの距離は周圍が靜かだから呼聲でも聞こえるか知れないけれども、窓に立つてゐる人が男か女か見わけがつかない位に離れてゐる。道づれの二人の青年は、私たちより少し先に來て水の傍に立つて宿屋のある村の方とホテルの立つてゐる對岸を見くらべて話し合つてゐたが、私たちが舟を雇つてゐるのを見ると、また一緒にホテルへ同行することになつた。
此處の湖は西湖よりも一層閑寂の趣があつて、それでゐて西湖ほど陰氣でなく、――それは半分は山に圍まれてゐるけれども、他の半面が直接に裾野に續いてゐるので、――美しさから云つても一等であるが、どうしてか水が減つて(岸に一丈ほど白い所が水面の上に殘つてゐた)方々に熔岩の洲が夥しく浮き出してゐた。けれども舟を漕ぐ男は、これは一時的の現象だと云つた。
ホテルは外國人が三人(内二人婦人)と日本人が一人泊つてゐるきりであつたから、ベッドの二つづつある部屋を三つ借りることができた。廊下口から上つて行くと、家の中がからん[#「からん」に傍点]としてゐて、なんだか空屋《あきや》に入つたやうであつた。日本風の宿屋なら、先づ足を洗つたり茶が出たりするところであるが、私たちは草鞋も脚絆も解かないでぼんやり椅子にかけたまま、初めの十分間を不平を云ひながら過した。不平は皆んな足を投げ出したいといふのであつた。浴衣に着かへて廊下の手摺にでも兩足を投げ出したいといふのであつた。さうして風呂に入つて汗を流したいといふのであつた。さうして寢ころんで頬杖ついて話したいといふのであつた。それが出來ないからホテルといふものは親しみがないといふのであつた。これは日本人の生活の安易性から來た一つの習慣ではあるけれども、その場合の私たちの實感でもあつた。
とにかくベルを押して水を取り寄せ、人の分前の少くならぬやうに氣を遣ひながら顏と手を洗ひ、それから炭酸水にウィスキをまぜて飮んだり、熱
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