ら谷を隔てた自分の宮殿(ドムス・トランシトリア)まで大仕掛の地下道を掘ってつなぎ合せた。その地下道は此の山の上の部分に今も殆んどそのままに残っている。大きな石畳で敷きつめた堅牢なもので、その中でカリグラは自分の近衛将校に殺されたともいわれるから、その地下道はカリグラ時代からできていたのを、ネロが拡張したのかも知れない。
しかし、パラティーノの遺跡の現存の部分だけについていうならば、ドミティアヌス(十一代目の皇帝)が最も顕著な建設者であった。彼は兄ティトゥス(十代目の皇帝)、父ヴェスパシアヌス(九代目の皇帝)の如く善良な皇帝ではなかったけれども、建築愛好の点に於いては父兄に類するものがあった。
ドミティアヌスの宮殿はドムス・フラヴィアと呼ばれている。彼がフラヴィウス家(ヴェスパシアヌス以後)の出だったからである。その宮殿は実はアウグストゥス(初代の皇帝)の宮殿の一部を彼が改修したものだといわれるから、改修の程度が根本的のものであったか局部的のものであったかはわからないけれども、最初の時から数えればすでに二千年たっているわけであり、改修の時からとしても千八百五六十年はたっているわけだが
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