し、つづいて近隣の山々を併合したのである。パラティーノは、地理的にいうと、三つの部分に分れていた。パラティウム(西南部)とジェルマルス(北部)とヴェリア(北東部)。此の三部落を統一して、凝灰岩の城壁を繞らし(その城壁の一部は今も残っていて見られる)、一つの町を造り上げた。ローマ・クァドラタ(四角のローマ)と呼ばれた。山の上は今でも大体に於いて方形である。
 パラティーノの上のロムルスの町は、まず北のカピトリーノとクィリナーレを併せ、次に東南のツェリオを、つづいて南のアヴェンティーノを、最後に東のエスクィリーノとヴィミナーレを併せて一大都市となった時、種族的にいえば、ラテン族とサビーニ族とエトルスクス族の結合ができたわけである。ロムルスの最初の発足から七つの山の結合の成立までどのくらいの年月が費されたかは、年代史的には正確にはわからない。けれども、最後にエスクィリーノとヴィミナーレの二つの山を併せて、七つの山の周囲に大規模の城廓を築いたのは、ロムルスから六番目の王セルヴィウス・トゥリウスだったということは明かである。彼はタルクィニィ家(エトルスクス族)二番目の王で、城廓以外に、大運河を開
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