ら谷を隔てた自分の宮殿(ドムス・トランシトリア)まで大仕掛の地下道を掘ってつなぎ合せた。その地下道は此の山の上の部分に今も殆んどそのままに残っている。大きな石畳で敷きつめた堅牢なもので、その中でカリグラは自分の近衛将校に殺されたともいわれるから、その地下道はカリグラ時代からできていたのを、ネロが拡張したのかも知れない。
 しかし、パラティーノの遺跡の現存の部分だけについていうならば、ドミティアヌス(十一代目の皇帝)が最も顕著な建設者であった。彼は兄ティトゥス(十代目の皇帝)、父ヴェスパシアヌス(九代目の皇帝)の如く善良な皇帝ではなかったけれども、建築愛好の点に於いては父兄に類するものがあった。
 ドミティアヌスの宮殿はドムス・フラヴィアと呼ばれている。彼がフラヴィウス家(ヴェスパシアヌス以後)の出だったからである。その宮殿は実はアウグストゥス(初代の皇帝)の宮殿の一部を彼が改修したものだといわれるから、改修の程度が根本的のものであったか局部的のものであったかはわからないけれども、最初の時から数えればすでに二千年たっているわけであり、改修の時からとしても千八百五六十年はたっているわけだが、その割によく保存されているので、石造建築の寿命の長さというものが今更のように考えられる。そのことはエジプトでは、その二倍以上の寿命を保っている実例を見て、もっと痛切に感じられるのであったが。
 正面に緑色の斑のあるチポリーノ大理石の円柱の二十本ばかり並んだ柱列を見て玄関にかかると、白髪のびっこの老案内人が出て来て私たちを迎えた。至って閑散と見えて鄭寧に説明してくれたけれども、くわしいことは『ベデカ』にでもゆずり、印象の深かった部分だけを書いて見ることにしよう。
 構造は長方形(長さ約一五〇米、幅約一〇〇米)で、中央に柱列を四方に繞らした大きな中庭があり、北側と南側に三つずつ部屋がある。北側の中央は玉座のある部屋で、サン・ピエトロの内陣よりも大きいといわれるが、玉座の上の天蓋は取り去られ、六つの壁龕の円柱は運び去られ、壁龕に台座のみは残ってるが、その上に立っていた彫像か鋳像か知らないがそれ等は盗み取られ、壁の大理石も剥ぎ取られ、天井も床も無装飾になっていて、当初のきらびやかさを想像することは困難である。
 その東隣りは礼拝堂で、右隣りはバジリカである。礼拝堂には王家の守護神が安置されてあったものだろうが、今はカトリクの様式になってるのは、八世紀頃からしばらく此の宮殿が修道院に使用されていたためだろう。バジリカ(法廷)は皇帝が護民官を半円形に列ばせて、訴訟当事者に判決を与えた状態が実感されるように遺っている。しかし、装飾を奪われてることはいうまでもない。礼拝堂とバジリカの下にはそれぞれ地下室があるけれども、なぜだか公開されてない。バジリカの下の部屋にはアウグストゥス時代のすばらしい壁画が残ってるということだが、見せないとなると一層見たくなる。
 南側の中央は大食堂で、色さまざまの大理石や※[#「王+分」、第3水準1−87−86]岩の敷石の破片があったということだが、今は見られない。大食堂の両側はニムフェウムと呼ばれる浴室で、楕円形の大きな噴水盤が西側の部屋だけに残っている。その部屋には美しいモザイクの床も割合によく保存されている。珍らしく感じたのは、その部屋の外側に二千年前の汲み上げポンプの軸棒[#「軸棒」は底本では「軸捧」]が残ってることで、深さ約三六米あるそうだが、周りに鉄柵を繞らして手を触れさせないように大事に防護してあった。
 なおその先に別棟になって二つの部屋があり、アカデミアとビブリオテカと名が付いているけれども、もちろん今はがらんどうである。
 以上は公式の宮殿であるが、皇帝の私室はどこにあるのかと聞くと、中庭の下にあると案内人は答えた。しかし、それもまだ公開されてなかった。
 此の宮殿のある地面は東隣りの広大な空地と共に初めはアウグストゥス帝の大宮殿を載せていたので、その区域(パラティウム)は今でもドムス・アウグスティアナと呼ばれている。その空地の一部分に壊れたまま立ってる近代式の建物の純英国式なのがおかしいと思ったら、百五十年ほど以前にサー・チャールズ・ミルズという英国人が建てたのだということだ。その南側にカザ・ロムリ(ロムルスの家)という小さな円い編み屋根の石造の小屋があるのは、太古からその名で呼ばれて来た建物が山の西の端にあったのをジァコモ・ボニ(発掘家)が復原したのだそうな。
 私たちはドムス・アウグスティアナから東南の方へ広場を案内人につれられて行ったが、突然深い谷底を見下す崖の端に出て驚いた。長さ二百米以上はたしかにあると思われる長方形のグラウンドが遥かの谷底に横たわっているのだから。現にスタディウムと呼ばれてるように、
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