パラティーノ
野上豊一郎

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)銭葵《ぜにあおい》の

|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)六百|米《メートル》

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
   (数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数)
(例)※[#「王+分」、第3水準1−87−86]岩
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    一

 まだローマになじまないうちは、あまりに多く見るべき物があるので、どこへ行っても、何を見ても、いつもあたまが混迷して、年代史的に地理的に整理しながらそれ等を見ようとするのにかなり骨が折れた。例えばフォーロ・ロマーノ(フォルム・ロマヌム)一つ見るにしてもそうである。古代ローマの最大の広場とはいっても、パラティーノ、カピトリーノ、ヴィミナーレ、エスクィリーノの四つの山の谷間に横たわる長さ六百|米《メートル》にも足りない細長い面積ではあるけれども、其処には紀元前六世紀頃からの各時代各種の建物の遺物が堆積していて、なかなか一度や二度の訪問では、様式の変遷とか素材の種類とか、またそれに関連した昔の市民の信仰の特殊性とか政治的背景とか市民生活の状態とかいったようなものが容易に捉めるものではない。それが捉めなかったら見物の意味は殆んどなくなってしまう。それは一例だが、大きくいえばローマ全体が一つの大きな博物館のようなもので、どこへ行っても、年代史的に、考古学的に、文化史的に、美術史的に、理解と鑑賞を必要とするものが、複雑多様に包蔵されてある。それ等を見物して一々秩序正しく記憶の薬味箪笥にしまい込むためには、並大抵の努力では追っ付かない。第一、訪問の度数を重ねなければならない。そうして親しみなじむことが肝腎である。その前に十分の準備をして概念的に予備知識を貯えて置くことはもちろん必要であり、それを後で修正したり補足したりして確実な知識に作り上げることも怠ってはならない。それほど、ローマは見物の対象としては内容豊富で複雑だから、ローマについて思い出を書いて見ようとしても、当時のノートをめくって見るだけでも億劫なくらいである。
 此処ではパラティーノについて書いて見よう。

    二

 フォーロ・ロマーノを訪問した人は、ヴェスタの殿堂とかヤーヌスの殿堂とか、サトゥールヌスの殿堂とか、バジリカ・ジュリアとか、クリアとかレジアとか、或いはアントニウスがケーサルの追悼演説をしたといわれるロストラとか、そういったものを見て歩きながら、すぐ南の方に高さ五六十米の褐色の煉瓦で固められた断崖が長くつづいて、月桂樹や糸杉でその上を縁どられ、美しい景観を作り出してるのを見落した筈はないだろう。それがパラティーノの山の北の端で、ローマ民族の伝説的発祥の地として昔から神聖視され、また帝国時代の初期には歴代の皇帝が宮殿を営んだ所として有名である。
 パラティーノは謂わゆるローマの七つの山――前記の四つの山の外に、クィリナーレ、ツェリオ、アヴェンティーノ――の中で、中央に位して他の六山を三方に配置し、西側はテベレの流に臨み、しかも孤立した丘陵となってるので、最も要害堅固の城砦として役立った。伝説に拠ると、山の端に一本の無花果の木があり、その下で牝の狼がロムルスとレムスの双生児を育てた。そのロムルスが成長してローマ建国の大祖となったのである。カピトリーノのパラッツォ・デイ・コンセルヴァトーリ博物館に「ルーパ・カピトリーナ」と称する青銅の大きな牝の狼が乳を垂らして立ってると、二人の小さい子供がその下に乳を仰いで坐ってる群像がある。エトルスクス時代の製作で、昔はパラティーノのルパルカルに在った。その牝狼の首は今日でもイタリア政府の発行する国立博物館の入場券に黄色の紙に赤く大きく刷り出されてある。
 伝説ではロムルスは弟のレムスを殺してローマの創始者となったといわれてるが、今日の学説では、ロムルスという個人があったことは否定され、種族の名前だと解されている。種族的には原型のラテン族だとも、また一説ではエトルスクス族だともいわれる。そのロムルスに依っての最初の民族的結合は紀元前八世紀の中頃で、伝説で伝えられた紀元前七五四年という建国の年は不合理でないと承認されている。
 しかし、その時初めてローマに人間が現れたのでないことはいうまでもない。テベレの流域には紀元前二五〇〇年頃からすでに新石器時代の人種が生活していた。恐らくリビュアやマウレタニアの牧草地帯からイベリア半島を通って移住したもので、テベレ沿岸の樹林を伐り開いて、狼・熊・野猪などの迫害に悩まされながら、牧畜を生業としていた。其処へ、紀元前一七〇〇年頃から新しい民族がドナウ流域から移入して、青銅の武器を以って先住者を駆逐した。此の新来者
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