Aまるで自分たちには拘わりのないことのようなのんきな顔をして見物に出かけているのである。
 見物のコースは、ヴォーからもう一度スーヴィルに戻り、北へ東へ回って、今度はドーモンの塁砦に辿りついた。ここはヴォーよりも一段と規模が大きく、穴の中の営舎も数多く、まるで地下街のようだ。感心したことの一つは、どこの穴倉の営舎にも必ず礼拝堂があることで、宗教は近代に入って人の霊魂を支配しなくなったとはいわれるけれども、それでも、カトリックの国々では殊に、宗教から全く絶縁した生活は見られないが、生命を賭けての戦場では一層それが必要されるものと見え、ヴェルダンだけではなく、エスパーニャに行ってトレドーのアルカサルの白軍籠城の営舎を見た時も、其処に礼拝堂を発見して心を動かされたことがあった。若い兵士たちが戦死する時、最後に呼びかける言葉は母の名でなければマリアの名だと聞いている。
 ヴェルダンで戦死した兵士たちの共同墓地へ行く途中、大きな瀕死の獅子の彫像を載せた石の台を左に見た。百三十師建設記念碑と銘してあった。ドイツ軍は北方から攻めて来てこの地点から先へは進めなかった。その付近も一面の樹林である。停戦当
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