かった。不思議に思ったのは、赤軍の塹壕と白軍の塹壕と対抗し、白軍の塹壕の向側にまた赤軍の塹壕があり、その先にまた白軍の塹壕があるといった風に、何のことはない塹壕のだんだら染が出来上ってるような箇所があった。それ等には今一一標柱が立てられて、其処も一種の見せ物となっていた。また、赤軍といい、白軍といい、初めは思想的対立であったが、後では必ずしもそうでなく、むしろ行政区劃的対立となって、Aの村の者は全部赤軍に編入され、Bの村の者は悉く白軍に召集されるといったような奇観を呈し、それがため、兄弟別れ別れに敵味方の塹壕に対峙するというようなことも少からずあった。これは戦線に立って実戦を見た矢野公使の話であるが、ある時白軍の塹壕の中にいた兄が首を出すと、赤軍の塹壕の中から射撃しようとして狙ってる者があった。見ると弟だったので、おい、おれだぞ、と、どなって銃を下させたというようなこともあった。そんな風だから、冷静に考えると、何のために戦争をしてるのかわからなくなることもあったらしい。おもしろいのは、夜になると敵の塹壕でレコードをかけてダンスを始め出すと、その調子に合せて味方の塹壕でもダンスをやるとい
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