通ったきりで、父は犠牲を払っても四男だけはライデンの大学に入れたいと思っていたけれども、彼の情熱は画のこと以外には向かなかったから、父の希望を満足させることはできなかった。彼は二十五の年にアムステルダム――国際都市として膨脹しつつあったアムステルダムへ出て、職業的画家の生活に入った。
オランダでは事業に成功した者や職業組合が、貴族のするように、画家に自分たちの肖像を描かせる風習があった。若いレンブラントにも注文が殺到した。彼は忽ち有名になり、美しいサスキアを妻に持ち、金は手に入るにまかせて荒く使った。殊に諸国から輸入された美術品・骨董類をめちゃくちゃに買い込んだ。まるで自分の家を博物館にするのではないかと思われたほどだった。結婚して八年目に妻のサスキアは死んだ。一人の息子を残して。その頃からレンブラントの名声は次第に落ちて行った。彼の芸術心が世俗の要求を十分に充たしてやるように彼を努力させなかったからであった。彼は貧苦と戦わねばならなくなった。彼は絵筆の代りにエッチングの針を持つことの方が多くなった。年若い無教養の女中ヘンドリキエ・ストッフェルスと同棲して、世間から全く隔絶されるよう
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