彼に訴えなかったようであるが、ルーベンスは或る時期には相当に彼を動かし、いつもルーベンスのことを考えていたようである。けれども、ルーベンスとはおよそ反対の行き方をするようになった。というのは、彼のあたまの中にもやもやしていたものを表現するには、他人の表現法では間に合わないことをはっきりと自覚したからである。それで、彼は自然を師として彼自身の表現法を発明した。形を正確に造り出して色と光で調子を出すことについての独得の表現法である。それは彼にとって生涯の研究問題であった。もちろん技術の問題ではあったが、それを指導するものは彼の心の内奥に燃えさかる人間知に対する探究の情熱であった。彼を遂に美術史上に於ける最も特色ある偉大な芸術家として造り上げた情熱であった。彼が「オランダのシェイクスピア」といわれるのも、その点で頗る適切な評語である。
 シェイクスピアはストラトフォド・オン・エイヴォンの雑穀肉屋の息子に生れ、ろくに学校生活もしないで、あれだけの人間学を独力で世間から習得し、大学などでは到底学び取ることのできない才能を以って、世にも稀な芸術品を数多く作り上げた。レンブラントも少年の頃文法学校に
前へ 次へ
全27ページ中11ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
野上 豊一郎 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング