滿足である。
此の書には辭句の解釋も取扱方の批判もすべて先生の口から出たものだけが記されてあるわけである。
書き留めた文體は必ずしも先生の表現であるとは限らない。先生の表現をそのまま保存してあるやうに思はれる部分もあれば全然筆記者の便宜から要領だけを書きつけた部分もあるらしい。すべてそのままにして手を入れない。
それ故に或ひは此の書は、夏目金之助氏がいかに Shakespeare を解釋したかを示すものといふよりは、寧ろ筆記者はいかに夏目金之助氏の講義を聽いたかを示すものに過ぎないかも知れぬ。
例へば或る難解の辭句に封して先生は諸家の説を擧げてそれを批判し、且つ自分の意見を添へるやうなことが多かつた。けれども私の筆記には後者だけが書き留められてある場合もあるだらう。當時高等學校を出たばかりの青二才の私には、他日此の筆記を整理して同好の人に頒つやうな機會が來るだらうとは意識されなかつたから、今日に於いてそれ等の不備をば諒として貰ひたい。
底本としては先生が常に教室に持つて來られた The Arden Shakespeare を用ひた。
それから後、先生は大學をやめて、小説
前へ
次へ
全4ページ中3ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
野上 豊一郎 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング