、思い切って辞職もし得ないで来た彼の運命のみじめさを幾度涙ぐんだか知れないのであった。
だから最近に栄転した前署長のお情けで、東京郊外の平和な別荘地になっている、このK村の駐在所に廻わされると、受持区域に住んでいる知名の人々からの附届けで、やっと息が吐《つ》けるようになった事をドレ位、感謝していたことか。その巡廻の一足一足|毎《ごと》に……この地域に事なかれかし……とドンナに誠意を籠めて祈ったことか。そうして又、それが泥棒一つ捕《つか》まえた経験のない無能な彼の、心中からの……ただ一筋の悲しい願いでなければならぬ事を、彼自身に何度、自覚したことか。
しかし睦田巡査はまだ二十歩と行かないうちに、タッタ今踏み付けた奇妙な吸殻の事をキレイに忘れてしまっていた。まん丸い背中を一層丸くして、外套の頭巾を深々と引下して、薄暗い角燈の光りの中に、どこまでもどこまでも続くコンクリート壁や、煉瓦塀や、生垣の間をトボトボと歩いて行った。
寒い寒い星の夜《よ》であった。
その翌《あく》る朝であった。
彼が踏み躙《にじ》って行った幸運が、ソレだけの悪運となって彼の頭上に落ちかかって来たのは……。
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