《うち》に大衆を飽満させて行った。見る間に純文学の滅亡を叫ばしむるに到った。
一種の国産品の大量生産……それが現在の大衆読物の氾濫ではあるまいか。
しかもその国産品の氾濫も最早《もはや》、行き詰まりかけているのではあるまいか。
多量の雑誌が出て来て、それがドシドシ売れて行く。読者は皆、芸術鑑賞の紋付《もんつき》袴《はかま》で読む事を好まない。仰向けに引っくり返って、安易な夢を逐《お》おうとしている事がわかればあとは、材料の安価と、商品化の手軽さが問題になって来るばかりである。
真剣な作家の真剣な作品を、骨を折って集めるのは馬鹿馬鹿しい事になって来る。ヨタでも焼直しでも何でもいい、読者がちょっと面白がりさえすればいいという事になって来る。そこいらのゴミ溜《ため》や、よその畠から失敬して来た材料にアニリン塗料とサッカリンで色と味を附けた、ちょっと口あたりのいい料理を作るのが芸術界の大勢になって来る。あとで庖丁を入れられたり、味加減をされたりしても決して文句を云わない。云わば扱い易い料理人が到る処にウヨウヨ出て来る。
高価《たか》い金を払って、三拝九拝しても芸術的な作品しか作り得
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