まさか》祖母の記憶力がここまで消耗していようとは夢にも思わなかったが、併し謡わないよりは増《ま》しだと思って又一番|相《あい》勤めた。けれ共その終い際になったら、もともと厭気がさしている上に疲れているものだから、声が甲《かん》に釣り上ってヘトヘトになってすっかり汗を掻いてしまった。そうしてやっと謡って仕舞うと、祖母は又もや涙を拭いながら、
「ああ、久し振りで面白かった。死んだ祖父《じい》様が生きて御座ったらなあ。それでは今度は富士太鼓を一ッつ何卒《どうぞ》」
と云った。自分はとうとう死に物狂いの体《てい》で今一番富士太鼓を謡って、伯父伯母が帰らぬ内に這々の体《てい》で退却した。
そうして聴き手を択《えら》むべきものだと、この時つくづく感じた事であった。
夢中運動の事
電車の中なぞでよく見受けるが、分別盛り以上の年輩で一廉《ひとかど》の服装をして髯《ひげ》なぞを生やしている人が、夢を見るような眼付で天の一方を睨みつつ、お経の化け物見たいな声を高く低く出しながら、手や足を痙攣《けいれん》的に動かして拍子を取っている御仁がある。知らぬものは一寸《ちょっと》驚くが、これは狐
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