付きでも何でもない。謡曲の第三期中毒者で、些《すこ》しも危険の恐れのない発作症状を今現わしているところなのである。謡曲中毒もここまで来ると既に病膏肓《やまいこうこう》に入ったというもので、頓服《とんぷく》的忠告や注射的批難位では中々治るものでない。丁度モルヒネだの阿片の中毒と同じで、止めようと思ってもガタンガタンが四楽《しらく》に聞こえ、ゴドンゴドンが地謡いに聞こえて、唇自ずからふるえ、手足自ずから動き、遂に身心は恍惚として脱落し去って、露西亜《ロシア》で革命党が爆裂弾を投げようが、日本で政府党が選挙に勝とうが、又は乗り換えを忘れようが、終点まで運ばれようが委細構わず、紅塵万丈の熱鬧《ねっとう》世界を遠く白雲|緬※[#「二点しんにょう+貌」、第3水準1−92−58]《めんばく》の地平線下に委棄し来《きた》って、悠々として「四条五条の橋の上」に遊び、「愛鷹《あしたか》山や富士の高峰《たかね》」の上はるかなる国に羽化登仙《うかとうせん》し去るのである。
南無阿弥陀仏もよかろう。アーメンも面白かろう。天理教の蒟蒻躍《こんにゃくおど》り、静坐法の癲癇舞踊、皆それぞれ相当の境界があろう。けれ共
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