が減退していると聞いていたが、会って見ると左程でもなく、よく拙者を記憶していて、いつ東京から帰ったかとか、幾つになったかとか、嫁はまだ貰わぬかなど聞いた。そうして最後に、
「妾《わたし》も最早《もはや》余程長い事こうやっていて退屈してなあ」
 と云った。この時に自分は不図《ふと》この祖母が謡い好きであった事を思い出して、忽ち胸中に湧き出した野心が半天に漲《みなぎ》り渡ると、思い切って独逸流に、
「お祖母《ばあ》様。私は東京に行って謡いを稽古して来ました。御退屈なら伯父が帰るまでに一ツ謡って見ましょうか」
 と切り出した。その時の祖母の喜びようと来たら全く地獄で仏に会ったようであったが、自分も亦《また》御同様で全くこの祖母を拝みたい位に思ったのである。
「併《しか》し何を謡いましょうか」
 と尋ねて見ると、祖母はその濁った眼を天井に放ってしきりに考えている様子であったが、
「ああ、それそれ、死んだ爺さんが謡い御座った、あの、それ……四方にパッと散るかと見えてというあれを」
「富士太鼓ですか」
「それそれ、その富士太鼓――」
 果然、富士太鼓は拙者の得意の出し物であった。今は何条猶予すべき
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