い》の怪手腕と称すべしで、謡曲の教外別伝の極地、声色の境界を超越した、玄中の玄曲を識得した英霊漢というべしである。かくの如きに到っては、到底吾人|味噌粕輩《みそかすはい》は申すに及ばず、斯道五流の大家と雖も倒退三千里で、畢竟《ひっきょう》百説《ひゃくせつ》不会《ふえ》只《ただ》識者《しきしゃ》の知に任せ、達者の用に委《まか》して、遥《はるか》に三拝九拝して退くより他に途《みち》はないのである。
聴き手は注意して択《えら》むべき事
自分も実は大の聴聞脅迫党で、今まで随分謡曲嫌いを製造した覚えがあるが、ここに只一つ無類飛び切りの謡曲好きに出会《でくわ》して、却《かえっ》てヘトヘトに悩まされて懲《こ》り懲《ご》りした珍談がある。その謡い好きというのは拙者の祖母で、今年九十三歳になって中風の気味で郷里福岡の片傍《かたほと》りの伯父の家に寝ているのであるが、これをこの間久方振りに帰郷した時見舞いに行って見ると、折節《おりふし》伯父伯母は下女を残して外出の留守で、小供は皆学校に行っているし、祖母は只一人奥の六畳に霞んだ眼をして寝ているところであった。拙者は兼てから祖母が非常に記憶力
前へ
次へ
全11ページ中6ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
夢野 久作 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング